次の入院まで 2
2004年11月27日
先生のお話を振り返っていた。
かのんちゃんは、「がん」なんだって。
すぐに入院、手術でないのは、もしかしたらもう手遅れで
私たちに与えられた猶予なのかも・・。
家族水入らずの時間を少しでもかのんと私達に
与えたのか・・。
いらない想像が私の中で増殖していく。
当時、インターネット環境下になかった私は、当然この日から、市立図書館に必死で通った。
それからしばらくは、家族で平穏な日々を過ごしていた。
成田山へ祈祷しに行ったり、私の誕生パーティをしたり、実家へお墓参りに行ったり。
一ヶ月前に私の父が他界した。通夜、告別式の時も、かのんはずっと機嫌悪かったな・・。
あの頃から、頭が痛くて辛かったのかな。分かってあげられなかったことが、
今でも悔やまれる。
主治医から電話があり、入院は12月9日に決まった。
図書館で「がん」と名の付く数々の本を読み漁った。絶望しかなかった。
12月8日
かのん発熱。朝、38度、昼、38.8度
こども病院に電話して、入院できなくなったと伝えた。
昼過ぎから3回嘔吐。掛かりつけの小児科へ吐き気止めをもらいにいった。
排便が無かったので、浣腸して便を出してから、吐き気止めの坐薬を入れた。
その後30分、吐き気がなかったので、水分を飲ませたが吐き気はおさまった様子。
夜になりブルブル震え出し、熱が39.9度まで上昇。
苦しそうでふらふらしてきたので、アルピニー(解熱鎮痛剤)を使用。
何度か起きたが、眠れているようだった。
12月9日
熱 朝39度 昼 37度 夜 39.2度
吐き気はおさまっていて、昼にはパン粥など少しずつ食べ始めた。
夕方から熱が再浮上。手足をブルブル震わせて、ひきつけそうだった。
そういえば、吐き気があるうちは絶飲食にしたので、抗痙攣剤のフェノバールシロップは飲ませてなかった・・。
もしかして、それでひきつけてる?あわててフェノバールを飲ませて、
先日まで入院していたN病院の救急外来へ行った。
このひきつけは、たぶん心配ないものだろうからと、ただアルピニーを処方されただけだった。
夜になり、更に様子がおかしくなった。立ち上がれなくなったり、手足の先をいきなりグーって力を入れたり・・。
本当に大丈夫なのだろうか・・。腫瘍のせい?風邪の熱のせい?
あんなに大きな腫瘍があるのに、こんなに熱出して、苦しんで、かわいそう・・。
12月10日
昨夜は2度起きて、家中をフラフラ歩いて、様子がおかしかった。
このままどうにかなっちゃうんじゃないかと心配したが、
今朝はすっきりしている様で、一安心。
12月13日
前日から様子がおかしくなった。朝ごはんも食べられなかった。
午後2時ごろ、痙攣発作。
手足をギュウッと握ったまま、体を縮め視点が合わない。
痙攣は、ほんの2分位でおさまったが、その後、だんだん呼びかけに反応しなくなったり、
黒目が上に勝手に行ってしまったり。
夜になると、ほとんど呼んでも反応しなくなったので、
こども病院の先生に電話した。
今思えば、痙攣発作の時点で、連絡するべきだった。
私、のん気なんだよね・・。行動が遅い!
電話口で先生は、もちろんどんな様子か診たいから、すぐに来て欲しいと焦っていた。
だいたい普段から、あの先生は何やらお忙しそうで、焦っている。
それはさておき、私達は夜9時頃、こども病院へ急行。もちろん、高速とばして!
車の中で、今日は父の四十九日だったことを思い出した。お父さん、怒ってるのかな。
かのんは、相変わらずぐったりしている。
ようやく、病院に着いた。夜のこども病院は寒くひっそりとしていた。
救急受付を済ませると、看護師さんが、先生がこちらでお待ちです、と診察室へ案内してくれた。
髪の毛の乱れた先生が(普段もあまり整ってないけどこの時は大分乱れていた)、今までの経過を
教えて下さいと、カルテを見た。
すると、今までぐったりしていたかのんが、急に意識もはっきりと
してきて、先生を見つけ泣いた!
その様子を見て、先生は「大丈夫そうだね、君」とニコニコ笑顔になった。
先生のこの笑顔が好き。
とりあえずほっと一同安心して話を戻し、今日の経過を先生に伝えた。
CTを撮りに行った。かのんは、しばらく泣いていたが、だんだんニコニコ元気になった。
CTを見る限り明らかな病変は無いとのこと。先生は、かのんの様子を見て、
「この様子だと、心配なさそうだね。一旦おうちに帰って、様子を見て
明日の昼ごろ私に電話してください。」と、ニコニコ言った。
先生にお礼を言い、私達はかのんと、ずっと寒い廊下で待たせていた上の子たちに自販機でジョア
を買って飲ませ、家に向かった。今度は、下道で・・。
着いたら、12時を回っていた。もちろん、三姉妹は揃って熟睡。
そして、高速で行っても下道でも時間は変わらないことを発見した。